最高裁判所第一小法廷 昭和54年(オ)344号 判決 1980年5月01日
上告人
大谷三ツ男
右訴訟代理人
坂田桂三
被上告人
関二郎
右訴訟代理人
坂上富男
坂上勝男
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人坂田桂三の上告理由第一について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
同第二について
生命保険契約に付加された特約に基づいて被保険者である受傷者に支払われる傷害給付金又は入院給付金は、既に払い込んだ保険料の対価としての性質を有し、たまたまその負傷について第三者が受傷者に対し不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償義務を負う場合においても、右損害賠償額の算定に際し、いわゆる損益相殺として控除されるべき利益にはあたらないと解するのが相当であり(最高裁昭和四九年(オ)第五三一号同五〇年一月三一日第三小法廷判決・民集二九巻一号六八頁参照)、また、右各給付金については、商法六六二条所定の保険者の代位の制度の適用はないと解するのが相当であるから、その支払をした保険者は、被保険者が第三者に対して有する損害賠償請求権を取得するものではなく、したがつて、被保険者たる受傷者は保険者から支払を受けた限度で第三者に対する損害賠償請求権を失うものでもないというべきである。
これを本件についてみると、上告人は、被上告人が本件事故による受傷を原因として、(イ) 日本生命保険相互会社から傷害給付金一〇万円、(ロ) 住友生命保険相互会社から入院給付金五四万円、(ハ) 簡易生命保険から傷害給付金一二万円をそれぞれ受領しているから、これを損害賠償額から控除すべきである旨主張しているものであり、右各給付金がいずれも生命保険契約に付加された特約に基づくものであることは、右主張自体から明らかである。そうだとすれば、右各給付金は、本件損害賠償額の算定に際しいわゆる損益相殺として控除されるべき利益にはあたらないし、また、右各給付金については、保険者代位の制度の適用もないといわなければならない。したがつて、これと同旨の原審の判断は相当であり、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立つて原判決を論難するものであつて、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(藤崎萬里 団藤重光 本山亨 中村治朗)
上告代理人坂田桂三の上告理由
第一、控訴裁判所判決(以下原判決という)は、不法行為における因果関係の存在を無視して上告人の損害賠償責任を肯定したものであり、同判決には因果関係に関する法則の解釈運用を誤り、経験則に違反し理由不備の違法がある。
(一) 民法第七〇九条が規定する不法行為による損害賠償請求権が認められるためには、加害行為の存在と、加害行為と結果たる損害発生との間の因果関係が必要であり、さらには、加害行為による損害賠償の範囲としてのそこから生じた損害との間の因果関係が認められなければならない。
しかるに、原判決は、上告人の加害行為及びこれと結果たる被上告人の傷害が発生するに至つた因果関係の、いずれをも、全く明らかにすることなく、上告人の損害賠償責任を認めている。すなわち、原判決は、どのように加害行為たる猟銃の暴発事故が発生したのかについての事実関係を全く認定することなく、単に猟銃からの実包抜取義務と猟銃の置き方の違法を認めたことをもつてのみで、上告人の損害賠償責任を認めている。
(二) 本件は、上告人が全くの砂丘地帯を狩猟を継続しながら、ジープに乗り、ジープに乗つた後は銃口を上に向けて銃を傍にかかえ銃の取扱いに注意していたのであるが、安全装置をかけた銃をジープの右側座席に置いて後部から再びジープに乗り、立ち上り銃を取ろうとしたところ、先を急いでいた被上告人が、雪積の中、道路の中央に寄ることなく路肩を突然に高速で無謀運転を行い、道路側にあつた砕石山に乗り上げ、その衝撃の際に銃が暴発したもので、被上告人の運転するジープの暴走とこれが砕石山に乗り上げたという偶発的、瞬間的な異常な事態の介在により発生したものである。
上告人を取調べた司法警察員今井吉隆は、上告人ジープのドアーを閉め終つて銃を取り上げるため、ちよつたママ状態を銃に付する時間、そのために銃をながめる時間、数えるほどの時間ではないでしようが若干の時間の間にジープが砕石山に乗り上げ事故が発生したと、かつ、どのような理由によつて銃が暴発したかが最後まで判明しなかつたため、上告人と一緒に考え猟犬が銃を踏んだのではないかとしたと、各証言している。
原判決は、如何なる事実によつて銃が暴発したかについて全く判断しておらず、また、第一判決はジープの後部左座席前方に乗せておいた猟犬が動揺で後部右側座席に飛び移り、その際、猟銃の引き鉄を強く踏みつけけため惹起されたと認定しているが、目撃もなく、むしろ、本件は自然暴発か、または、運転席に生ママきた暴発口からすれば被告人の無謀運転によつて銃が移動し銃口が運転席背部に追突し、その衝撃によつて暴発したと認められることから合理性がない。
(三) 上告人は、本件においては、自己の過失はなかつたとして争つているものであるが、原判決のように上告人の過失のみを認め、結果に対して責任を肯定することは行為と結果との間に因果関係の存在を要するとする法の要請に違反するものである。
行為と結果との間に因果関係があるといえるためには、自然科学的証明ではないが、経験則に照らして全証拠を総合検討し、事物の通常の状態により、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が証明され、その判定は通常人が疑いを差し挾まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを要し、このように判断し、当該行為によつて当該結果が発生することが当然であると考えられる状態になければならない。
原判決のように、行為者の過失のみを認め、どのような事実状態において暴発が発生したかを不問にして、あるいは、明らかにせずして結果に対して責任を認めることはできない。蓋し、特に結果の発生の可能性が他に存在するときは、他の行為者あるいは他の事故によることもあり、行為者と行為を結びつけることはできないからである。ただ、他に事故発生の可能性は考えられず、具体的な過失行為が結果を発生させる蓋然性をもつているとの関係が立証されたときは行為と結果との因果関係を認めることもできるであろう。
本件においては、上告人が原審において主張しているように他の暴発の可能性があつたのであり、むしろ、被上告人の無謀運転によつて砕石山に乗り上げた衝撃によつて本件が発生したと思われるとき、およそこれに先行する実包を抜き取らず、銃の置き方不十分のみをもつて、上告人の行為によつて傷害の結果が生じたと経験則上判断することは困難であろう。
第二、原判決は、被上告人が保険会社から受けた傷害保険金(傷害給付金、入院給付金)を損害額算定の際に、控除すべきであつたにも拘ず、民法第七〇九条に違反して控除せずして損害賠償額を認めた違法がある。
(一) 被上告人は、日本生命保険相互会社他二社から金七六万円の傷害給付金たる保険金の支払を受けている。
第一審判決は、いずれも、生命保険契約上の給付金であつて、本件暴発事故との間に因果関係はないとし、また、原判決は、上告人の主張自体から明らかなように生命保険契約に付加された特約による給付金であるから不法行為とは別個の保険契約から支払われるものであつて、保険金支払によつて保険代位を生ずるものでもないので、控除の主張は採用できないとしている。これらの判決は、いずれも、生命保険契約に、たまたま、付加されて締結された特約を、通常の生命保険契約と同一ないし同質なものと解している。
しかし、本件における給付金は、生命保険契約と別個独立の同契約締結の際に付加されてなされた傷害保険契約にもとづいて支払われた保険金であるから損害算定において控除されるべきである。
(二) 不法行為による損害賠償責任を定める民法第七〇九条の損害とは、損益相殺をなした後の真の損害を指している。
損害賠償制度は、現実に発生した被つている損害を填補させることが公平の原則に適合するというものであり、被害者に現実に被つている損害以上のものを得させ保護を与えるではない。したがつて、被害者において加害行為にもとづきこれと相当因果関係の範囲内で他から損害が填補された場合には、その額を発生した損害から相殺し、加害者に対して被害者が現実に被つて損害を賠償させる必要がある。
(1) 生命保険は、人の「生死ニ関シ一定ノ金額を支払フ」べきこと約する契約であり(商法六七三条)、「損害ヲ填補スル」ことを約する損害保険契約とは異なる(商法六二九条)。
人の生死に関して保険金を支払うことを目的する純粋の本来の生命保険(養老生命保険)は、損害填補を目的とするものではないから不法行為の損害額算定の際に控除すべきではない(加藤一郎・不法行為二四五頁)。生命保険金を損害額算定の際に控除すべきでないとする見解の中でもその理由づけにおいて統一されていなく、生命保険契約の客観的目的を理由とし、保険契約という不法行為と別個の契約たる事由にもとづくものであるとし、自己の固有の権利とし、払込んだ保険料の対価たる性質を有するとし、保険契約にもとづいて既に発生している期待権の変形とし、あるいは、生命保険には保険代位の法理が適用されないから控除すれば、加害者に損害賠償額の軽減ないし不存在になる利を与えることを、各理由としている。
(2) 本件において支払われた保険金は、生命保険契約にもとづく保険金とは異なり、これと別個の傷害保険契約に基いて支払われたものである。
保険業法第七条は、生命保険会社が損害保険契約を兼営することを禁止しているが、行政上は、生命保険に付帯する契約として、損害保険契約を締結することを認めている。そして、この傷害保険は純粋の生命保険とは別個の契約であつて、保険契約者の希望選択によつて契約されるものであつて、二個の契約の保険料も全く別個の基準に従つて算定されており、傷害保険は傷害の程度や等級に応じて、発生した損害を填補することを目的としている(乙第一六号証・日本生命保険相互会社社員の陳述書、保険業法の解説六〇頁、西島梅治・保険法四〇六頁)。原判決は、生命保険契約と共に締結されている傷害保険契約(災害保障特約契約)を本来の生命保険と同一に解していることにおいて誤りがある。
そして、傷害保険は人保険であり準定額保険ではあるが、人の生死に関するものではなく、また、損害の有無に拘ず一定額の保険金を支払う生命保険と異なり、損害に応じて保険金が支払われるものであるから、損害填補を目的と損害保険であるとすることは通説である。したがつて、各種の傷害保険、労働者災害補償保険法、労働基準法にもとづく障害補償金、自動車損害賠償保障法にもとずく損害保険金については、これが支払うべき損害賠償額から控除されている。
第一審判決及び原判決は、不法行為と別個の契約から支払われることを理由として控除を否定しているが、保険契約にもとづく保険金は、生命保険、火災保険等損害保険といえども、いずれも不法行為とは別個の保険契約にもとづいて支払われるものであるから、これをもつて非控除の理由とすることは合理的ではない。
また、原判決は、保険金支払によつて、代位を生ずることでもないことを理由としているが、これは、生命保険に付加して契約された本件契約を生命保険契約と同一視しているものである。生命保険の非控除を保険代位の法理が適用されないことを理由とする説は、もし、保険金を損害賠償額から控除すべきとすると、生命保険契約においては、保険代位の法理が適用されないから加害者において損害賠償額が軽減ないし不存在となる利を受ける反面、被害者は本来一定の時期に交付を受けるべき保険金額を事故のため、かえつて、損害額中に算入されることになるという、すこぶる不合理な結果を招来することになるとしている(奈良次郎・ジユリスト三〇九号五六頁)。
この理論は、純然たる生命保険契約については当てはまるが、本件の場合は、事故の発生があつたため、これによる損害を填補するために保険金がはじめて支払われたものであつて、生死を原因としていずれ支払われる生命保険とは異なるものであつて、すなわち、生死を原因とする生命保険のように一定の時期がくれば当然に保険金の交付を受けるというものではないので妥当しない。なお、損益相殺の保険代位の問題は、次元の異なる別個の問題であり、保険代位(民法四二二条の損害賠償代位についても同じ)が認められるかは便宜的、立法政策の問題であり保険料の節減等にもとづくもので、保険代位の有無によつて賠償額からの控除を決することはできないであろう。なお、本件の場合は傷害保険すなわち損害保険であるので保険代位の適用があるが、人保険の場合は、保険者代位による求償は一般的に行われていなく、保険料も求償権の有無と無関係に計算されているようである。
(3) 本件傷害給付金は、事故と同一原因にもとづいて、その損害の多寡に応じて支払われ損害填補に当てられたものであるから、これらの給付を受けている場合は、算定された損害からこの額が控除されるべきことは当然のことであり、控除された現実の損害が賠償されるべき損害と解されるべきである。